おだやかな暮らし

日々の備忘録。

安定期の旅行のこと

妊娠してからお世話になっている妊娠情報サイト。

週数毎にコンテンツが分かれていて、その時々に知っておいておきたい情報が分かりやすく書かれていて本当に助かっています。とっても便利な世の中だなぁ。安定期にもうすぐ入ろうという時、そのサイトで「旅行に行くなら安定期に入った今!」なんていう記事を見つけ、近場の温泉に行きたいなぁと思い夫に相談。妊婦さんの温泉の入り方、宿泊先への移動方法、主治医への許可は欠かさないなど注意点をくまなくチェックして私が一番こだわっていた「家族風呂」のあるホテルを2泊おさえて予約完了。

母に旅行に行く事を伝えると、何かあったらどうするの!なんて不満げ。車で移動するっていうとまたまた不満げ。遠回りしてでも、多少お金がかかっても揺れの少ない新幹線(電車だって揺れるじゃん!)で行きなさい、知り合いのお嬢さんは安定期の遠出で出血しちゃったのよなど…あぁ、話すんじゃなかった。何かあった時の為に、救急の産婦人科の病院を調べたし、スケジュールは全くタイトじゃないし、先生に相談してOKもらったし無理しないからさぁって行っても「知らないからね」なんて言われて。

いや、わかっているんです。自分勝手な行動なのかもしれないけれど。でも主治医の先生の「出血するときは、たとえ仕事をせずに家で安静にしてる人でもするんです。今のhanaiさんなら無理しなければ行っても大丈夫ですよ。」のお言葉でふっきれました。半年以上ぶりの旅行。心身共にリフレッシュしたい!せっかくの妊婦生活できる範囲で楽しまなくちゃと。

その頃はかすかに胎動を感じるようにもなって、これが胎動かぁ〜って嬉しくてくすぐったくてほんわかしていました。この旅行は、私と夫とお腹のベビさんと3人での初旅行。私が、楽しければベビさんもきっと楽しい。いい旅にしようと心に決め、前日に水天宮で旅の無事をお願いして自由気ままな温泉旅行にでかけたのでした。

幸い旅行中はトラブルに見舞われる事なく、素敵な時間を過ごせましたよ☆いいこにしていてくれたベビさんに感謝。隣で運転していてくれた夫にも感謝。ホテルもとても居心地がよく、夫がホテル周辺をジョギングしている時は私は部屋で読書&お昼寝。二人で庭をお散歩したり、近くのアウトレットでショッピングしたり、有名なベーカリーでランチをいただいたり。ベビさんが産まれたら、三人でまた行きたいなぁ。

私は自宅から近場の温泉へ出かけましたが、中には妊娠中に海外へ行かれる方もいるんですねー。さすがにそれは怖くてできなかった…。前の年に二人でハワイへ行っておいて良かった。ベビーが産まれても海外旅行はしばらく行けなそうにないですからね。

妊娠中期のこと

つわりの症状がおさまり始めたのは妊娠三ヶ月目が終わる頃。

その頃はいつ仕事場に妊娠を伝えるか、またいつ退職をしようかを慎重に考えていました。実家の母はすぐにでも退職をして体を大事にして欲しかったようですが、ちゃんと安定期に入るまでは仕事を続けたかったのです。考えたくもない事ですが、万が一流産をしてしまった時に仕事も辞めてしまったらひとりぼっちで悲しみを抱えながら家で過ごすことになる。仕事をしていれば多少なりとも気は紛れるし、気持ちが落ち着いた頃にまた働きながら妊活を再スタートできる環境にいたいと思ったからです。

少しずつお腹も膨らんできて、検診ではいつもすこぶる順調。時々仕事中や仕事から帰ると体がだるい日もありました。そんな時は家事を手抜きしたり、早目の就寝を心がけ、週末はゆっくり横になる時間を作ったりしていました。

なんとか早いこと安定期に入りたいと思いながら生活をしていた矢先、ショッキングなことは起こりました。金曜の夜、仕事から帰ってすぐ家のトイレに入ったら茶色の出血が…。妊娠初期にも何日間か出血はありましたが、そこから一ヶ月以上間をおいての出血。頭が真っ白になりました。何の血だろう、どうしよう…。すぐにネットで色々と検索をしまくり、それでも自分で判断するのがためらわれたのと、翌日は病院が休診なのも心配で20時を過ぎていましたが病院に電話をしてみました。救急外来の先生と電話で話している時に少しずつ下腹部が痛くなってくるような気も…。現在の週数とこの症状だと、家で安静にしていても構わないとのことでしたが、赤ちゃんの様子が気になるようでしたら診るので来てくださいと。私は「これから行きます!」と即答。急いで身支度をしました。病院との距離は歩いて15分弱。タクシーが思うようにつかまらず結局徒歩で救急外来へ。念のため仕事中の夫に連絡を入れ、不安な気持ちとともに受付で診察を待つことになりました。待つ間、病院のトイレに入るとさらにショッキングなことが!家を出る前より出血が増えているのです。腹痛もさっきより強くなってきているし…思わずその場で泣きそうになりました。流産を密かに覚悟した瞬間です。せっかくここまでこれたのに…赤ちゃんと離れるのやだよ。神様。

その後、どんな顔で診察を待っていたかな。しばらくして同じ年頃の女医さんに呼ばれ内診台に乗り、心を落ち着けてエコー画面を見ました。「よーく診ていきますね。」そこに映し出されるベビさんは私の心配はよそにぴょんぴょんはねたり、動いているのです。「元気そうですね。さっき病院のおトイレでも出血があったとのことですが、もう出血は止まっているようですよ。」と。「はっきりと原因はわかりませんが、いつかのなんらかの原因でたまった古い血液が体外に出たようです。強いて病名をつけるなら切迫流産でしょうか。まだ22週に満たないので薬を出すことはできません。今できることは安静にして頂くしかありません。」女医さんのはきはきした説明に、ホッとしながらもまだ気は抜けないんだと緊張。切迫流産…言葉は知っていたけれど。帰り道に、切迫流産をまた調べまくりました。症状が重いとそのまま入院したり、出産まで入院生活だったり。出産まで辿り着けばいいけれど、悲しい結果になってしまうことも。安静にと言われ家に帰ることができたのは、ありがたいことなんだ。検診で順調を言われていただけに本当に驚きました。今まで以上に身体大事にしよう。でも来週からの仕事…どうしよう?

家に戻って生理痛のような痛みがあるお腹をさすり、ベッドに横になっていると急いで仕事を切り上げ夫が帰ってきてくれました。詳細を話し、夫も少し落ち着いてくれた様子。週明け、体調不良ということで3日間の有給を頂き家でなるべく動かないようにじっとしていました。仕事が忙しくない時期で良かった。かなり上司に体調を心配されたので、上司には休み明けに妊娠を伝えようとその時思いました。

腹痛は一週間ほどで治まり、それからしばらくはトイレに入る度に出血にビクビク。「つわりさえ乗り越えれば、多分臨月までお腹の赤ちゃんとルンルンなマタニティーライフを過ごせるんだろうな」なんて呑気なことを考えていたのですが、妊娠中こそ色んなトラブルがつきまとうのだということを身をもって知りました。安定期を待ち望んでいた私ですが、安定期が100%安全だなんて保障どこにもありません。仕事と初めての妊娠。でもいざとなったら仕事をすぐにでも辞められるような準備も必要です。お腹の赤ちゃんが最優先。穏やかながらも、ハラハラドキドキの妊娠中期なのでした。

<妊娠中期の症状>

・抜け毛が治まってくる

・つわりが終わって食欲増進

・左右の脇腹が痛む(お腹が大きくなって筋肉が伸びる上での痛みらしい) 

ネットスーパーパルシステムへの入会もその頃。牛乳や大きな野菜、お米などを配達してもらうのに重宝しています。キッズ特典として、1回の5000円以上の注文で送料が無料に。月に数回まとめ買いをしています。

妊娠初期のこと

妊娠初期のことを書き留めておこうと思います。

妊娠が分かったのは2ヵ月目に入ってすぐのこと。その際に先生から「4ヵ月過ぎるまでは綱渡りだと思ってね。」と言われました。流産しやすいことを忘れずに、ということですね。妊娠初期はその言葉を頭において、いつも行動していたように思います。両手離しではまだ喜べないのだと言い聞かせていました。

出産予定日が分かった段階で私の実家の両親にまず妊娠を伝え、夫の実家には3ヵ月に入る頃につわりの時期と重なることを懸念し、夫の親戚の行事の出席を私だけ控えさせてもらう連絡と一緒に伝えました。

互いの親にとって私の妊娠=初孫が生まれるということ。電話で伝えた時は、双方ともとても喜んでくれました。私の両親はこれまでの不妊治療を知っていたので、電話の後で泣いて喜んでくれたみたいです。もちろん夫の親も孫をずっと待ち望んでくれていたでしょう。けれど、私が夫の実家に遊びに行く時も、月に一度程度電話で近況を話す時も一切急かしたり干渉するような発言はしませんでした。本当に感謝しています。

そして仕事。非正規でフルタイムの専門職の仕事をしていた私は、つわりでどうしても業務に支障をきたす状況にならない限り、できるだけ安定期に入るまでは妊娠報告を避けたいと考えていました。部署は年上の男性がほどんどで、自分の仕事さえきちんとこなし締め切りを守れていれば、基本遅刻・早退・有給取得には寛容なところだったので不妊治療には好都合だったのです。

もともと私のいる業界は不規則な就業形態の仕事がほとんどで、徹夜や休日出勤は当たり前。20代の頃は仕事を覚えたくて、経験を積みたくてギリギリの体調でやっていました。そして当時お付き合いをしていた夫と結婚をするにあたり、“ 結婚したら家事は基本妻である私がやりたい!” と思っていたため、正規・非正規問わず定時で切り上げられる仕事場を探してご縁があったのが、妊娠7ヵ月になるまでの4年間働いたこの仕事場。仕事内容には少々物足りなさはありましたが、自分の時間をしっかり持てること、部署内の人たちが気の良い方達だったこと、何より不妊治療を続けられることがメリットでした。つわりの時期がはじまったかなと思った時は、どんな苦しい思いをするのか不安でしたが、幸い出勤できないほどではなかったのでなんとか周りに知られることなく、つわりのおさまる時期まで過ごすことができました。

不妊治療の病院を8週で無事卒業し、すぐに出産する病院を決め、検診の度にエコーでまだ人の形とはほど遠い姿のベビさんが映し出されるのを見て…まだまだ妊娠した実感は薄いものの小さな心臓が休みなく動いてくれているのがとても神秘的だったし、嬉しかった。この「綱渡り」の時期を無事に乗り越えられたベビさんにも感謝でいっぱいの毎日でした。

<妊娠初期の主な変化>

・果物が食べたくなる

・酸っぱいものが食べたくなる(お鮨など)

・髪の毛が大量に抜ける

・時々下腹部が痛い

・朝起きたばかりの時と、昼寝後の気分の悪さが半端ない

・午後の眠気が強烈

つわりの時期は葉酸と鉄、カルシウムが入ったサプリを欠かさず飲む以外は、自分が食べたいと思うものだけを食べていました。また3ヵ月目に入るまでは、少量の出血が時々ありました。心配したけれど鮮血や大量出血でなければ問題ないとのこと。あと、私の場合は高温期が続いているのが妊娠継続のしるしだと思い、不要かもと思いながらも妊娠後期に入るまで基礎体温をずっと計り続けました。(みなさんはどうなんだろうな。)妊娠が分かったのが夏だったので、大好きなビールが飲めなくなってしまうのが残念で仕方なかった…。妊娠前までは、お酒好きの夫と休日や仕事のあとに待ち合わせて飲み歩くのが人生の楽しみ(←大げさ)だったから。。ノンアルコールビールやレモンやライムを搾った炭酸水には今でもお世話になっています。出産して母乳育児ができるのかわからないけれど、早くまた夫とビールで乾杯するのが夢です。あと、ワインも!

先日、以前からよくおじゃましていた近所のワインバーに出産前の行き納めとして半年ぶりに食事に行ってきました。お店のご主人に妊娠を驚かれ、なかなかもう来れないと思いますと話すと祝日でしたら前もってご連絡もらえればお子さんもOKですって!小さい子がいると大人のお店にはいけなくなるからこういう配慮は貴重。出産前の馴染みのお店行き納めツアーは出産ギリギリまで続きそうです。

子どもを授かるまでのこと

私たち夫婦は、約3年半の不妊治療を経て昨年初めて妊娠をし今に至ります。

途中、妊娠4ヶ月目と8ヶ月目に出血がありヒヤリとはしたものの、お腹のなかの子はすくすくと大きくなってくれて、もうすぐで臨月。一生懸命お腹にしがみついてくれているんだなぁと感謝の毎日です。ここまで来る道のりは長かったなぁ…。

不妊治療初期は、まだ年齢的にも切羽詰まっていないとタイミング治療から。翌年から人工授精、体外受精へと治療のグレードを上げ、3回目の採卵をしたその翌月、子宮を休ませるために何も治療をしないと決めたその月に幸運にも自然妊娠をしたのでした。

本当はその月に早速凍結胚盤胞を移植したいと希望をしていたのですが、なかなか生理がやって来ず…。もともと私は、20代前半からストレス性のホルモンバランスの乱れによる生理不順と言われ続けてよく婦人科に通院していたので、まーた周期が乱れてしまったかとため息をつきながら通院の予約を取ったのです。

そして先生に「妊娠している可能性はある?」と聞かれ、完全にお休み月と決めていたので、まったく排卵日など意識せずに生活していた私は「いや、ゼロではないですが狙ってどうこうということは…」とまさかという思いで返答し、「とりあえず妊娠検査しましょう」と言われるがままに検査をしてその場で妊娠が発覚したのです。

先生「妊娠してるよ。」

私「え?!? えーっつ!!!?? 本当ですかっっ!? いや、まさか。。。」

先生「本当だよー。ほら。(結果用紙差し出す)」

私「…。(こんな展開って)」

先生「(カレンダーを見ながら)いつした?排卵日特定したいんだけれど。」

私「いや〜…いつだったろ。。本当に全く狙ってなくて、記憶が。。時間ください。」

…お付き合い期間もいれると夫とは約10年の仲。それまで自然でも、人工受精でも、体外受精でも一度も妊娠することなく、最初はいつかは妊娠するさと通院していたものの、治療2年目の後半あたりから実を結ばないことや出口の見えない治療に心が折れ、ひどく焦って落ち込むようになり、考えないようにしようと仕事に打ち込んだり、酒を煽り(←オイオイ)服を衝動買いしてみたり、ヨガに行きまくったり、夫とちょっと贅沢な旅行したり食事へ出かけたり。。

時々一人かくれて大泣きしたり、実家の母に涙ながらに電話をしたりしたこともあります。「夫婦ふたりでも、このまま仲良く楽しく人生送っていけるよね。でもまだ年齢的に子どもを諦めるのは早い…当分は心底諦めがつくまでこの過酷な治療を続けるんだな。。」とぼんやり思っていました。

今回の採卵で無事3つのそこそこ良好な胚盤胞が採れて、気合いを入れ直して治療にのぞもうと思っていた矢先の妊娠。こんな突然治療が終わってしまうとは喜ばしいやら、ちょっと淋しいやら(!?)妊娠してるって夫になんて伝えよう?帰り道、興奮しながら自転車をこぐ手が震えたのを覚えています。

「妊娠してるって言われた。」

家に帰って、ソファーで読書をしている夫に「ちょっと話してもいい?」と中断させて報告をしたときの彼の呆気にとられた顔と「うそぉ!?」という言葉は忘れられません。笑 後日先生が、採卵をすると子宮が刺激されてその後妊娠しやすくなることがあるとおっしゃっていました。

3年半共に治療を続けてきて、時々不安定な気持ちの私を彼なりに支えてくれて、私のしたいように治療を進めさせてくれた夫に本当に感謝しています。

「結婚して2年目。そろそろ子どもを考えるでしょう」なんて周囲をみたり周囲から言われたりしながらなんとなく背中を押され、私たちは不妊治療を始めました。確かに、いつか二人の子をもつということは夢でした。

不妊治療の最中、ある晩に夫がまだ帰ってきていない家でひとり、ふと考えました。「夫、自分の親、兄弟、夫の親、兄弟…それは私にとっての大事な家族。このまま年齢を命の順番だとすると、この先私はまず親たちと別れなければいけない。これは決して抗えないこと。だとすると私の残りの人生の中で、新しく慈しむ命を私自身で生むことはできないのかな。守りたいと思う家族を。尊い存在を。私を大事に育ててくれた両親のように。だから、私も親になって子どもを育てたいな。その子の成長を夫と一緒に見届けたいな。」

その時「あぁ、やっぱり私、子どもが欲しいんだな。」と強く思いました。そして、夫を「父」にしたい。彼は子どもが大、大、大好きっていうタイプではなけれど、長年一緒にいる私の直感で “この人は父親になるべき素晴らしい人” と思っていたし、彼も授かれるものなら授かりたいなと話していました。

言うまでもなく子育ては容易いものではないですね。少しは覚悟しています。自分自身も親の気も知らずたくさんわがままを言い、心配をかけてきたから。我慢弱い私でも、器用に立ち回れない私でもきっと大丈夫と強く言い聞かせて。私と最愛の夫との子ども。二人ならきっと育てて行けると信じて。

お互い特にマタニティーハイになることなく、淡々と出産までの毎日を送っていますが、夫のパパぶりが今から楽しみです。

ブログをはじめた今日のこと

雨がやんで、東京の空は夕焼けが差している。

ラジオを聞きながら、今年に入ってずっと書きたいなと思っていたブログを

やっと重い腰を上げて書き始めてみた。

 

ブログなんて7年以上ぶり。

今まさに私のお腹のなかに息づく命を思いながら、不安や喜びを、

結婚して数年子どもを授かりたいと夫婦で願った日々を振り返りながら、

マイペースにできるだけ長く続けていけたらと思う。

よろしくお願いします。

 

hanai