おだやかな暮らし

日々の備忘録。

妊娠初期のこと

妊娠初期のことを書き留めておこうと思います。

妊娠が分かったのは2ヵ月目に入ってすぐのこと。その際に先生から「4ヵ月過ぎるまでは綱渡りだと思ってね。」と言われました。流産しやすいことを忘れずに、ということですね。妊娠初期はその言葉を頭において、いつも行動していたように思います。両手離しではまだ喜べないのだと言い聞かせていました。

出産予定日が分かった段階で私の実家の両親にまず妊娠を伝え、夫の実家には3ヵ月に入る頃につわりの時期と重なることを懸念し、夫の親戚の行事の出席を私だけ控えさせてもらう連絡と一緒に伝えました。

互いの親にとって私の妊娠=初孫が生まれるということ。電話で伝えた時は、双方ともとても喜んでくれました。私の両親はこれまでの不妊治療を知っていたので、電話の後で泣いて喜んでくれたみたいです。もちろん夫の親も孫をずっと待ち望んでくれていたでしょう。けれど、私が夫の実家に遊びに行く時も、月に一度程度電話で近況を話す時も一切急かしたり干渉するような発言はしませんでした。本当に感謝しています。

そして仕事。非正規でフルタイムの専門職の仕事をしていた私は、つわりでどうしても業務に支障をきたす状況にならない限り、できるだけ安定期に入るまでは妊娠報告を避けたいと考えていました。部署は年上の男性がほどんどで、自分の仕事さえきちんとこなし締め切りを守れていれば、基本遅刻・早退・有給取得には寛容なところだったので不妊治療には好都合だったのです。

もともと私のいる業界は不規則な就業形態の仕事がほとんどで、徹夜や休日出勤は当たり前。20代の頃は仕事を覚えたくて、経験を積みたくてギリギリの体調でやっていました。そして当時お付き合いをしていた夫と結婚をするにあたり、“ 結婚したら家事は基本妻である私がやりたい!” と思っていたため、正規・非正規問わず定時で切り上げられる仕事場を探してご縁があったのが、妊娠7ヵ月になるまでの4年間働いたこの仕事場。仕事内容には少々物足りなさはありましたが、自分の時間をしっかり持てること、部署内の人たちが気の良い方達だったこと、何より不妊治療を続けられることがメリットでした。つわりの時期がはじまったかなと思った時は、どんな苦しい思いをするのか不安でしたが、幸い出勤できないほどではなかったのでなんとか周りに知られることなく、つわりのおさまる時期まで過ごすことができました。

不妊治療の病院を8週で無事卒業し、すぐに出産する病院を決め、検診の度にエコーでまだ人の形とはほど遠い姿のベビさんが映し出されるのを見て…まだまだ妊娠した実感は薄いものの小さな心臓が休みなく動いてくれているのがとても神秘的だったし、嬉しかった。この「綱渡り」の時期を無事に乗り越えられたベビさんにも感謝でいっぱいの毎日でした。

<妊娠初期の主な変化>

・果物が食べたくなる

・酸っぱいものが食べたくなる(お鮨など)

・髪の毛が大量に抜ける

・時々下腹部が痛い

・朝起きたばかりの時と、昼寝後の気分の悪さが半端ない

・午後の眠気が強烈

つわりの時期は葉酸と鉄、カルシウムが入ったサプリを欠かさず飲む以外は、自分が食べたいと思うものだけを食べていました。また3ヵ月目に入るまでは、少量の出血が時々ありました。心配したけれど鮮血や大量出血でなければ問題ないとのこと。あと、私の場合は高温期が続いているのが妊娠継続のしるしだと思い、不要かもと思いながらも妊娠後期に入るまで基礎体温をずっと計り続けました。(みなさんはどうなんだろうな。)妊娠が分かったのが夏だったので、大好きなビールが飲めなくなってしまうのが残念で仕方なかった…。妊娠前までは、お酒好きの夫と休日や仕事のあとに待ち合わせて飲み歩くのが人生の楽しみ(←大げさ)だったから。。ノンアルコールビールやレモンやライムを搾った炭酸水には今でもお世話になっています。出産して母乳育児ができるのかわからないけれど、早くまた夫とビールで乾杯するのが夢です。あと、ワインも!

先日、以前からよくおじゃましていた近所のワインバーに出産前の行き納めとして半年ぶりに食事に行ってきました。お店のご主人に妊娠を驚かれ、なかなかもう来れないと思いますと話すと祝日でしたら前もってご連絡もらえればお子さんもOKですって!小さい子がいると大人のお店にはいけなくなるからこういう配慮は貴重。出産前の馴染みのお店行き納めツアーは出産ギリギリまで続きそうです。